カテゴリー別アーカイブ: 家具・インテリア紹介

Mies van der Rohe ミース・ファン・デル・ローエ

今日は、ミース・ファン・デル・ローエさんのお誕生日だそうで。

1969年に亡くなってから、ずいぶんたっても忘れられていないのは
その、偉大な功績があるからでしょう。

といっても、どんな功績?と思う方もいると思います。

では、こちらをご覧ください。

ほら、このイスなら、どこかで見たことがあるでしょう。

これは、1929年にバルセロナ国際博覧会のドイツパビリオン(ミース設計)の為に
デザインしたバルセロナチェアーです。

このミースさんは、実は建築家なのです。
ですが、優れた家具デザインも残しています。

その後、バルセロナチェアおよびスツールは
1948年にライセンスを取ったノール(Knoll)社により
復刻されて以来、今でもロングセラーを続けています。

ドイツパビリオンは、現在「バルセロナパビリオン」として復元されています。

柱と梁によるラーメン構造の均質な構造体が特徴で・・・と言っても
ちょっと難しいかもしれませんが、

見ていただければわかると思います!

壁と天井・・・そう、縦と横の直線の緊張感と
それらが含有する空気感というか、含有感というか、開放感・・・

それらが絶妙にバランスをとって、独特な雰囲気なんです。

周囲にはられた薄い水も、建物の一部のように
同じ質感をもって存在しているかのようです。

そして、その中にバルセロナチェアは配されていたわけです。

その他、ミースの代表的なイスをご紹介しましょう

1800年代中ごろ、木を曲る技術を発展させたトーネット社は
曲げ木のイス※を世に送り出しました。
2億本 売れたイス

その少し後、マルセル・ブロイヤーが初めて金属を曲げてイスをつくりました。
「ワシリーチェア」です。(1925年)

ミースさんから少しお話がずれてしまいましたが、

実は、このワシリーチェア完成のすぐ後
1927年ワイゼンホフ展覧会にて発表されたのが
ミースデザインの「MRチェア」です。

当時、初めてスチールパイプを柔軟性のあるデザインにした事で、
多大な功績を称えられたイスなのです。

スチールという新しい素材をイスに用い、
さらに、それが持つ冷たいイメージを、柔らかなデザインで
「空気の上に座る」というコンセプトを実現しました。

マルト・スタムのカンチレバーチェアが
足を90度曲げたのに対し、
ミースは脚に半円形のカーブを施しました。

それはやわらかさと、さらに座り心地に柔軟性をも、もたらしたのです。

WATER WORLD ウォーターベッドのススメ

今まで何度かウォーターベッドをご紹介してまいりました。

>浮力に抱かれて眠る

>ウォーターベッドの誤解を解きます

>Waterworld

>ウォーターベッドの利点

札幌ファニシングTERRAは、
日本唯一のウォーターベッドブランド「WATER WORLD」の
正規ディーラー店でもあります。

ウォーターベッドをおススメするには、
今までご紹介してきたような理由があります。

究極の寝姿勢を実現できる事、
そして、購入したあとも安心な事、お手入れが楽なこと。

おさらいできるように^-^HPにもまとめてみました♪

ぜひ、もう一度ご覧くださいね!
きっと、ウォーターベッドの良さをわかっていただけると思います。

ウォーターベッドのすすめ はこちらからどうぞ。

リッチソファー

家族でゆったりとくつろげる、ゆとりのソファ
札幌ファニシングオリジナル家具
Neo Design 『SANTI -サンティ-』

職人さんに、
「妥協をゆるさず、リッチに、こだわって作ってください。」
と、お願いして作ってもらった、究極のソファです。

クッション部分に使われているのが
特殊な高比重ウレタン。

バネのような高い反発性は、汎用ウレタンの1.5倍以上。
そして、耐久性。繰り返し圧縮残留歪は、汎用ウレタンの1/5以下。

脚部は、四方に木を渡し贅沢なデザインに。

もちろん布張りはカバーリング対応。
60種類ものファブリックから、お好きな張り地をお選びいただけます。

革張りも対応いたします。こちらは良質の革9色をご用意。

TERRA5階でご覧いただけます。
ぜひ、リッチな座り心地をお楽しみください。

Neo Design 『SANTI -サンティ-』

飛騨の匠の物語4


大正9年に飛騨に伝わった曲げ木椅子。

まだちゃぶ台の生活で、椅子など見たことも無かった時代に
洋家具を作るという決断は、革新的な出来事だった。

永年の経験と木の知識に支えられながら
「飛騨の匠」の技を受け継いだ職人たちの存在と
その挑戦を実現できるという自信が、
飛騨の洋家具作りを発展させていった。

昭和40年以降、日本人のライフスタイルは様式へと移行。
飛騨の家具メーカーも国内向けの商品開発に挑むと共に
飛騨デザインの確立を目指してきた。

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そうして作られたのが、飛騨デザイン憲章です。


『飛騨の家具』『飛騨・高山の家具」ブランドシンボルマーク

飛騨の家具には、曲げ木やホゾ木といった
複雑で難易度の高い技術で作られています。

こうした木工の深い技術を生かしつつ、古い伝統の形を押し付けるのではなく
姿や表情を時代に合わせながら飛騨デザインを育てています。

そして、日本国内のみならず、海外の国際家具見本市でも
飛騨の家具は高い技術を認められ、高い評価を得ています。
日本デザイン 世界へ発信

札幌ファニシングTERRAにも、この匠の技が光る
飛騨の家具を展示しています。

現在「飛騨の家具展」開催中。
ぜひこの機会に、匠の技にふれてみてください。

参考文献:新・飛騨の匠ものがたり
参考サイト:飛騨の家具・飛騨デザインの総合サイト

飛騨の匠の物語3

洋家具作りが始まったのは、大正9年である。

大正時代の飛騨は、鉄道もなく陸の孤島と呼ばれるにふさわしい
交通不便な山の中の町だった。

四方にそびえ立つ山々には、ブナの原生林がうっそうと繁り
昼も暗い密林地帯であった。

明治初期頃より、指物や箪笥などの和家具作りはされていたものの

当時、ブナ材といえば雑炭か下駄の歯程度の用途しかなく
無用の長物として見捨てられていた。

●飛騨の家具作りの発祥 ブナ材の曲げ木活用●

木材を蒸して型に入れ曲げる方法を世界で最初に考え出したのは
ドイツのミヒャエル・トーネットである。

1856年にオーストリアで世界で始めて曲げ木工場の建設に着手。
1859年には曲げ木椅子の多量生産を開始。
世界各国に販売され、今でも曲げ木といえばトーネット、
といわれるほどの椅子も生まれた。

2億本売れた椅子

その椅子の秘密は、ブナの木をUの字に曲げて椅子の部材を作る。
軽くて、輸送や製造コストも安くつく。
木理が通っているので、細くても丈夫。
たとえ壊れてもパーツの交換で修理が済む、というシンプルな基本構造にあった。

明治40年頃には、東京曲木や大坂の泉製作所が曲木家具の製作を始めた。
わが国における曲げ木家具製作の始まりである。

役に立たないとされていたブナの木が適材としての評価を得ると
ブナ材を求めて、明治44年には、秋田木工に、
9年後の大正9年には飛騨に伝わった、というわけである。

                         つづく

参考文献:新・飛騨の匠ものがたり

札幌ファニシングTERRA
「飛騨の家具展」開催中