作成者別アーカイブ: staff

ご来場御礼「札幌ファニシングSpring Fair」

先日、東京都立産業貿易センター「台東館」で開催いたしました
札幌ファニシング株式会社 「Spring Fair」には
たくさんのご来場誠にありがとうございました。

この場をおかりして、厚く御礼申し上げます。

会場では、SFオリジナルインポート新作発表や
北海道家具新作、大川新作、中部メーカー新作発表など
バラエティーも豊かに、あらゆるアイテムを展示・販売いたしました。

お得意先様におきましては、展示内容やその他ご要望などがございましたら
担当営業マンまで、お気軽にお申し付けください。

今後の催事に取り入れ、反映させていきたいと思っております。

最後に、会場の様子をビデオクリップにまとめましたので
ぜひ、ご覧くださいませ。

※音が出ます。

リッチソファー

家族でゆったりとくつろげる、ゆとりのソファ
札幌ファニシングオリジナル家具
Neo Design 『SANTI -サンティ-』

職人さんに、
「妥協をゆるさず、リッチに、こだわって作ってください。」
と、お願いして作ってもらった、究極のソファです。

クッション部分に使われているのが
特殊な高比重ウレタン。

バネのような高い反発性は、汎用ウレタンの1.5倍以上。
そして、耐久性。繰り返し圧縮残留歪は、汎用ウレタンの1/5以下。

脚部は、四方に木を渡し贅沢なデザインに。

もちろん布張りはカバーリング対応。
60種類ものファブリックから、お好きな張り地をお選びいただけます。

革張りも対応いたします。こちらは良質の革9色をご用意。

TERRA5階でご覧いただけます。
ぜひ、リッチな座り心地をお楽しみください。

Neo Design 『SANTI -サンティ-』

飛騨の匠の物語4


大正9年に飛騨に伝わった曲げ木椅子。

まだちゃぶ台の生活で、椅子など見たことも無かった時代に
洋家具を作るという決断は、革新的な出来事だった。

永年の経験と木の知識に支えられながら
「飛騨の匠」の技を受け継いだ職人たちの存在と
その挑戦を実現できるという自信が、
飛騨の洋家具作りを発展させていった。

昭和40年以降、日本人のライフスタイルは様式へと移行。
飛騨の家具メーカーも国内向けの商品開発に挑むと共に
飛騨デザインの確立を目指してきた。

・・・:::::::・・・:::::::::・・・:::::::・・・:::::::・・・:::::::::・・・::::

そうして作られたのが、飛騨デザイン憲章です。


『飛騨の家具』『飛騨・高山の家具」ブランドシンボルマーク

飛騨の家具には、曲げ木やホゾ木といった
複雑で難易度の高い技術で作られています。

こうした木工の深い技術を生かしつつ、古い伝統の形を押し付けるのではなく
姿や表情を時代に合わせながら飛騨デザインを育てています。

そして、日本国内のみならず、海外の国際家具見本市でも
飛騨の家具は高い技術を認められ、高い評価を得ています。
日本デザイン 世界へ発信

札幌ファニシングTERRAにも、この匠の技が光る
飛騨の家具を展示しています。

現在「飛騨の家具展」開催中。
ぜひこの機会に、匠の技にふれてみてください。

参考文献:新・飛騨の匠ものがたり
参考サイト:飛騨の家具・飛騨デザインの総合サイト

飛騨の匠の物語3

洋家具作りが始まったのは、大正9年である。

大正時代の飛騨は、鉄道もなく陸の孤島と呼ばれるにふさわしい
交通不便な山の中の町だった。

四方にそびえ立つ山々には、ブナの原生林がうっそうと繁り
昼も暗い密林地帯であった。

明治初期頃より、指物や箪笥などの和家具作りはされていたものの

当時、ブナ材といえば雑炭か下駄の歯程度の用途しかなく
無用の長物として見捨てられていた。

●飛騨の家具作りの発祥 ブナ材の曲げ木活用●

木材を蒸して型に入れ曲げる方法を世界で最初に考え出したのは
ドイツのミヒャエル・トーネットである。

1856年にオーストリアで世界で始めて曲げ木工場の建設に着手。
1859年には曲げ木椅子の多量生産を開始。
世界各国に販売され、今でも曲げ木といえばトーネット、
といわれるほどの椅子も生まれた。

2億本売れた椅子

その椅子の秘密は、ブナの木をUの字に曲げて椅子の部材を作る。
軽くて、輸送や製造コストも安くつく。
木理が通っているので、細くても丈夫。
たとえ壊れてもパーツの交換で修理が済む、というシンプルな基本構造にあった。

明治40年頃には、東京曲木や大坂の泉製作所が曲木家具の製作を始めた。
わが国における曲げ木家具製作の始まりである。

役に立たないとされていたブナの木が適材としての評価を得ると
ブナ材を求めて、明治44年には、秋田木工に、
9年後の大正9年には飛騨に伝わった、というわけである。

                         つづく

参考文献:新・飛騨の匠ものがたり

札幌ファニシングTERRA
「飛騨の家具展」開催中

飛騨の匠の物語2

かにかくに 物は思はず 飛騨人の 打つ墨縄の ただ一道に

この万葉の歌は、飛騨の匠たちが打つ墨縄の直線は
人間の技とは思えないほど、高度で正確な技術であることを
あらわしている歌である。

あれこれと浮気はしない。飛騨人の打つ墨縄が真っ直ぐなように
ただ一筋の愛を貫き通す、そんな恋の歌・・・なのですが。

都造営から近世の匠建築まで、
国の重要文化財に指定されているものは数多く
現在でも、その技にふれることができる。

国重要文化財 日下部家梁組

豪壮でどっしりとした表構え。
軒裏にセガイ(出し梁)を施し軒はかなり深い。
男性的な力強さを感じさせられる。

一方、日下部家の隣家である吉島家
セガイは無いが、太い軒下駄や垂木が
優雅で洗練された美しさを魅せる。

内部を見ると吹き抜け空間が美しい。
根曲がりが大きいアカマツ材を使いこなし
束と梁が織りなす縦と横の木材構成美。

一本の木材でも、繊維方向が平行でなかったり、収縮率が違う。
また、樹種、伐採された場所によっても、特質が違ってくる。

そんな材の欠点と利点を組み合わせる工夫が随所になされる。
木を知り尽くした、匠だからできる高度な技術だ。

飛騨の街を歩くと、飛騨の匠の技に魅せられる。

よく目にする、格子デザインも、その特徴の一つ。

ここで、一つ、不思議な格子をご紹介しよう。

お気づきだろうか。
木組みが縦も横も交互にかみあわされ
まるで、竹かごのよう。

竹や針金など、たわむ材料では可能なこの組み方は、木では不可能である。

それを可能にするのが、飛騨の匠の技というわけ。

安土桃山時代に建てられた寺の余材で、小さな地蔵堂を建てた棟梁。
この謎の千鳥格子は、このお堂の扉として考えられた。
檜の一寸角を使った升目で互い違いに組んだ謎の格子。

人々はこの格子組みに首をかしげたまま約250年が経過した。

明治初期に、高山の名工岡田甚兵衛がその組み方を解き明かそうと調べたが
外見からでは全くわからなかった。

やむなく、扉の片隅を少し壊して、その秘法を盗んだという。

※写真は、謎を解いた名工、岡田甚兵衛がその格子を再現した
高山市の江名子川に架かる助六橋の近くにある現存の稲荷堂。

あえて、ここではその秘密はあかしません^^
安土桃山時代の、ある飛騨の匠の技と頭脳に挑戦してみませんか?
                            つづく

参考文献:新・飛騨の匠ものがたり

札幌ファニシング株式会社TERRA
「飛騨の家具展」開催中