道具としての家具、そして家具の存在意義

こんにちは。

7/5号の、ホームリビングという家具業界の専門紙と、6/29の北海道新聞「はなし抄」を見て、家具の存在について考えさせられました。
私が共感する、道具としての椅子、そして家具の存在意義、家具への思いなど、二紙の記事の抜粋と共にご紹介いたします。
kiji
**-**-**-**——————**-**-**-**——————**-**-**-**

先日、国際家具デザインフェア旭川・第60回旭川家具産地展レポートをご紹介いたしましたが、ご覧いただけましたでしょうか?

ホームリビングでも、国際家具デザインフェア2014レポートがありました。
その記事の中で、開催期間中のいろいろなイベントの紹介があり、その中のひとつ、「君の椅子プロジェクト」の紹介記事の中で、

旭川家具の職人の手による無垢材の小さな椅子は、単に家具としてではなく
「かけがえのない生命の居場所」として在り続ける。

という個所がありました。

6/29の北海道新聞より、以前セミナーレポートを書かせていただいた、織田先生の言葉からの、家具についての記事をご紹介いたします。

椅子とはなんでしょう。

一般には体を受け止めてささえる道具ですが、一方で人間にこれほど近い存在の道具もありません。椅子には人間の体の部位と同じ名前がいくつもあります。(背・肘・脚など)

精神的な意味もあります。(会社では地位が上がると椅子が立派になる)

こうした物理的、精神的な意味を持つ椅子

日本では最近、衣食住のすべてのサイクルが短くなっています。
共通するのは異常な価格の安さ。それらはいとも簡単に家庭に入り込み、間に合わせ的に使われた末、使う時期が過ぎると捨てられます。

「ヒトとモノの接点の希薄さ」をもたらしているのです。

室内空間の質は、家具やインテリアアクセサリーの質に比例すると考えています。
ここで言う質は、必ずしも価格ではなく、愛着を持って長く使い続けられるものを指します。

良質で親から子に受け継がれるような家具を購入してほしいと思います。

本当に良いものを長く使い続ける、使い切るという価値観を持ってもらいたい。私はいつも消費者ではなく、愛用者でありたいと思います。

以上5/25 札幌芸術の森「木の椅子塾」での講演「暮らしの中の名作椅子」から
北海道新聞6/29「はなし抄」の記事より抜粋

より生活に近い椅子をはじめとした、家具たち。
単なる道具としてみれば、その価格や価値観は人それぞれかもしれません。

しかし、存在意義という視点から見つめてみると、これほど長時間一緒に暮らす道具は他にありません。その、暮らしを共にする相棒となる良い家具とは、単にデザインだけではなく使い心地や材料、耐久性、愛着をもてる存在なのかどうか・・・

そんな、思いを持ち、私たちは永く使える、パートナーとなってくれるような家具を取扱い、皆様に提供していく商社でありたいと思っています。

2014/07/08 by 札幌ファニシング TERRA staff