マルニ木工マキシマムストーリー

マルニ木工の戦後の発展に、大きく関わった2人のデザイナーがいます。
中国山地からの丸太の集積地だった、廿日市での
木材産業振興を担う人材育成を目的とした廿日市工業学校の
木材工芸科を同じ年に卒業した、池光卓弥氏と大久保勝氏です。

彼らは「職人的」とも形容できるデザイナーで言葉を弄することを好まず
互いに切磋琢磨しながら豊富な知識と経験をもとに、
研ぎ澄まされた感性で、数々のヒット商品を世に送り出しました。

その中での代表作のひとつが、
30年以上にわたって今も作り続けられている
池光氏のアンドリューであり、
アンドリュー

大久保氏のベルサイユです。
ベルサイユ

現在のマキシマムシリーズのほとんどの商品をデザインした池光氏に
アンドリューの開発当時の話を聞きました。
80歳を過ぎてなお明晰さは変わることなく、
記憶も確かな池光氏は言います。

「売れそうなものは勘でわかる。
 アンドリューの試作が出来上がった時、これはいける、と思った。」

アンドリューをはじめとしたマルニ木工の
クラシックスタイルの家具が生まれた発端は
1959年(昭和34年)アメリカ視察に行った、社長の山中武夫氏が
当地で買い求めた、カービングマシンでした。

金属のモデルをもとに、複数の部品に彫刻を初めとした
立体的な削り加工が、同時にできる画期的な機械でしたが、
当初はほとんど使い方が分からず、
試行錯誤しながら、何とか使えるようになったのは、その7年も後の事です。

当時、クラシック家具は、欧米からの輸入品に限られ非常に高価で、
相当なお金持ちでも、手の出るものではありませんでした。

一方で、
「効率的に彫刻ができるカービングマシンを活用して、
              他社の真似のできない家具を作れ。」
というのが山中武夫の指示であり、
彫刻が大きな特徴となる、クラシックスタイルの家具はその適材でした。

そして、日本人の暮らしの中に今まで疎遠だった
クラシックスタイルの家具を身近にすべく
1966年(昭和41年)の№267に始まり
エジンバラ、ベルサイユ、ルーブル、エドワードと商品化が続きました。

そして1975年(昭和50年)に、満を持して生まれたのが、アンドリューです。

どのようなきっかけで、アンドリューのデザインを発想したのか、
との問いかけに
  「観に行った洋画のワンシーンからだった。」
                     と池光は回想します。

アンドリューが商品化される前に、
本格的なロココスタイルの、エドワードを商品化した池光氏は、
エドワード

エドワードより手頃に購入いただける、新しい商品を模索していました。

今のように海外旅行も簡単ではなく、情報も少ない時代、
発想の大きな源のひとつが、洋画を観賞することで、
ストーリーはそっちのけで
銀幕に映るインテリアに目を凝らしたと言います。

ある日その中に現れた、ひとつの椅子に目が止まり、
繰り返し映画館に脚を運びながら
デザインを熟成させて生まれたのが、アンドリューでした。

上方に向かって優雅に広がる背が
ゴージャスな雰囲気を醸し出した、特徴的なスタイル。
アンドリュー

猫脚の形づくりには多少手間取ったものの、
頭の中のイメージが、はっきりしていたため、
試作の繰り返しも少なく完成した、と振り返る池光氏。

こうして「これはいける。」という確信のもと
市場に送り出されたアンドリューは、
今もコンスタントに作り続けられるロングセラーとなっています。

以上 マルニ木工 マキシマムストーリーより

2009/10/22 by 札幌ファニシング TERRA staff